美味しく感じる、とっておきの魔法

書きたい気持ちがいっぱいになって、溢れた。

「書きたい」と「伝えたい」は似て非なるもの、あなたには伝わってほしくないけれど、他の誰かには伝わってほしい、知ってほしい。そのとき確かに感じた自分の気持ちをないがしろにせず、守りたいの。

そうしておよそ一年ぶりに、ブログを再開する。

 

美味しいお寿司を食べに行った。

美味しいお寿司に必要なのは、腕のいい板前さんでも雰囲気のいいお店でもないことを知った。

何よりもまず必要だったのは、美味しいものを「美味しいね」と笑いあえる関係だったのだ。気遣いとか、共感とか、好意とか。

 

握りたてを出されるお店で、奇しくもあなたの注文したものばかりがテーブルに並んでいく。それを私は、少しの感嘆とともに眺める。

「いただきます」と食べ始めるあなた。美味しそうにうっとりと目を閉じて味わう。次から次へ口元へと運ばれていくお寿司を見るともなく見て、お寿司がお皿から消えていくほどに私からは表情が消えていく。無言の時間に耐えかねて話しかけると、「今味わってるから」と強い口調で諌められる。

 

ただただ、寂しかった。

「お先に」の一言でいいから、断りが欲しかった。

「一緒に分けようか?」と、一皿でいいから誘って欲しかった。

「まだ来ないね」と、一瞬でもお茶とおしぼりしかない私の席へ目線をやって欲しかった。

 

待ちに待ったお寿司が目の前に並んだとき、本来輝くはずだった私の瞳には生気のひとつも宿っていなかった。もちろんあなたは、こちらに無関心で食べ続けている。

いざ食べてみると、たしかに美味しいんだけれど、それでも美味しく感じられなかったんだ。

 

美味しいお寿司を食べに行った。

ほんとうに美味しいお寿司は、残念ながら食べることが叶わなかった。

 

今週のお題「寿司」