夜の幸福、昼の不幸

久しぶりにログインして過去に書いたものを読んでみたら、自分の自分による自分のための文章すぎて感動してしまった。誰にも読まれなくったっていいじゃない、いつかの自分が読んで心動かせるなら。

あっ、これ書いておきたい。と思う瞬間は生活の中にたくさんある。

この感じを、思いを、正確に文章で形取って残しておけたら、誰かと共有できたら、どんなにいいだろう!と何度も何度も何度も頭の中で構想を練る。けれど、そういうときって大体、書いて残せるような手段を持ち合わせていない。ほとんどが家事や育児に追われている最中だから。

そうしてやっと一人になれて、少しでも自由に使える時間があって、長文作成に向いているパソコンを開けるのは夜の時間。今だって夜。いざ一日の終わりになってみると、あれだけ燃えたぎっていた「書きたい」思いがフッと消えているのだ。喉元過ぎれば熱さを忘れる。忘れてしまう程度のものだったとは到底思えないんだけれど、それでも忘れてしまっている。

結局私は、お風呂に入って清潔になっていい香りをまとって、少し前の夕食でお腹が満たされて、追い立てられる「やるべきこと」がなくなって、子どもたちのあどけない寝顔を眺められて、あとは柔らかい布団に包まって眠るだけ…という状況に置かれると、すっかり満たされてしまうのだ。日中抱える理不尽(だと感じること)への憤りを忘れてしまえる程度には。

この時間が、ずっとずっとずーっと続くのであれば、私は間違いなく幸せ者だろう。わざわざ弁解じみた自分の考えを残す必要なんてないのかもしれない。

けれど、時間は流れる。地球は自転を止めることなく、無情にも夜は明ける。

幸せな夜の時間を長く楽しもうとすればするほど、睡眠時間は短くなって、次の日の生活に差し障る。光あるところに影はできる。夜に享受した幸福のぶんだけ、昼の不幸は色濃くなる。

本当は、昼だって幸せに過ごしたいのに。

ココロガケ次第で幸せに過ごせるはずなのに。足りないココロガケを埋めるべく、私は文章を書きたいなと思う。幸福と不幸との間にあるぼんやりとしたギャップに言葉を宛てていって、本来幸福であるはずのものを不幸にしている「何か」を解き明かしたい。抽象的すぎるだろうか。

それさえ解き明かせたら、ココロガケを手に入れることができたら、今は辛くて仕方ない太陽が昇っている間の生活だって楽しくなるような気がしているのだ。

昼間書きたくなったことを夜まで保つ工夫が必要だ。夜の幸福を削ってでも手に入れたいものだ。昼間を幸福に生きていくための手がかり。